「思索する羽生結弦」(第5回)感想

2025年8月28日木曜日

Deep_Edge_Plus 羽生結弦 永井玲衣

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今回も面白かったですねぇ。個人的な注目ポイントは2つありました。

(1)「『人それぞれ』であきらめない」という約束事

これって永井先生が勝手な思いつきで設定されたルールではなく、古代ギリシアのプロタゴラスという2500年ぐらい前の哲学者の「相対主義」を避けることを目指されているように感じました。

プロタゴラスは、飲茶さんの『史上最強の哲学入門』の最初の1人目として登場します。プロタゴラスの言う「万物は人間の尺度である」という主張が「相対主義」とされるんですが、「正しいか正しくないかに絶対的な基準なんて無い」「『おまえのやってることは悪い』と糾弾するのは、価値観の押し付けだ」という主張で、当時政治家の間で大人気だったそうです。なぜか?

例えば、「地方の弱小国家を攻め滅ぼして、その国民を奴隷として連れ去りたい」というのが本音の主張だとしても、「文明から取り残されたかわいそうな未開人を、聡明な僕たちギリシア人が救ってやるんだ!」と涙ながらに叫べば、さも素晴らしいことを言っているように見せかけることができる。逆に、同じことを論争相手が主張すれば、「なんてキミは非人道的なんだ!」と訴えることで、さもひどいことのように見せかけられる。

「人それぞれ」という考え方は、一見「他人の意見を尊重」しているように見えて、議論・対話を通じて真理に近づこうとする意識がゼロなので、本音の部分では他人の考えを受け入れていない。むしろ、上で挙げたような「論破テクニック」として悪用されていたようです。

(2)「境界線」を引くのは何のため?

政治家でも経営者でもアスリートでも芸人でも誰でもいいんですが、XのようなSNSで一般人から批判を受けると、「だったらあなたが自分でやったらいい!」って発言することあるじゃないですか。私が思う「境界線を引く」行為として、あれが真っ先に頭に浮かびましたね。

たぶん、これを言葉通りに受け止める純粋な方々だったり、その発言者の取り巻き連中は、「その当事者と同じ土俵に立てなきゃ、意見する資格なんて無いんだ!」と解釈すると思うんです。

でも、私のような性格の悪い人間からすると、この発言者は、「もうこれ以上ボクのこといじめないでぇ!」と心の中では泣いてるんだろうなぁ・・・と受け止めてしまうんです。言葉で説得する技術もなければ、他者の意見を受け入れる心の余裕もないので、境界線を引いて「自分を守る」ことしかできない。もっとボクを褒めてくれ!もっとボクを認めてくれ!と。こういう態度って、それなりに立場や責任のある人ほど見られる傾向のように感じます。

あとは、これ、今後出るかもしれないですが、いまの人は基本的にSNSのアカウントを持っているので、「無反応が一番怖い」ってのはあるんじゃないかと。自分のつぶやきに対して、批判リプをする人は嫌い。そいつらは私の境界線の外側の人たちで、場合によっては敵である。でも、賛同・共感リプはそこまで求めていない。RPといいねで十分。RPといいねがたくさんあれば、私の境界線のラインがくっきり引かれて、私が私である存在意義が守られているような気がする・・・みたいな。

ところで、永井先生が紹介されていた、「『違う意見の人と話すのがこわい』ってよく言われる」というお話、これって具体的にどういう状況なんでしょうね?職場の人間関係とかですかね?トラブっちゃマズそうな人なら、私だったらテキトーに話を合わせて、深入りせず、離れすぎず、何かあったらすぐに撤退できるように、その人の境界線の縁に陣取りたい所です。

なんだかいろいろゴチャゴチャしてきましたが、まだまだ第6回以降もあるそうなので、そこでの対話を読ませてもらいながら、私の頭の中もクリアにできたらと思っています。

では、また明日!

Jun

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