「思索する羽生結弦」感想編(後編)

2025年10月15日水曜日

羽生結弦 永井玲衣 細川バレンタイン

t f B! P L


オリジナル以外の画像の使用が制限されているので、羽生さん関連のエントリーでサムネが作れない場合は、自分で仙台で撮った動画のスクショを貼ることにします。ご了承ください。


感想編・後編のリンクは「こちら」。

「自分のことを非人間化してる人もたくさんいる気がします。私なんて考える価値がないとか、あるいはチャットGPTが考えるから私が考えなくてもいいとか。それって、自分のことを大切にできていないことだと思うんですよね。私が考えても意味ない。だって私の考えなんてしょうもないからっていうことが裏にあるわけです」

「自分がいまこの世からいなくなっても実は困る人っていないよな?」っていうのは、私の場合は、大学を卒業して20代中盤ぐらいから、50歳が見えてきた今でも、そういう考えが頭の片隅で「ひっそり住んで」いる気がします。そして、ふとしたきっかけでその「住人」がやってくるんです。それって、先生がおっしゃるような「自分を大切にできていない」ってことなんでしょうか?だとしたら、私は人間失格ですか?

これが例えば、自分を物理的に傷つけたり、ってことが具体的に行われているなら、治療を受けるべきでしょう。でも、おそらく少なくない人たちが、「自分なんて・・・」と思う瞬間はあって、その思いを歯を食いしばってなんとか抑え込んでいる。そんな時に、「自分を大切にしなさい」と言われると、それは自分自身を責めることになってしまう。悪いのは私なんだ。じゃあ、生きてちゃいけない人間なんだと。

これって、「非人間化」なのかなぁ。「人間じゃない何か」になりたいわけじゃない。ただただ、無になりたい、消えて無くなりたいって心境です。でも、「無」になれるなら、誰に何を言われても、あるいは何も言われず無視されても、べつにいいじゃないか?って発想に転換できると、「だったら、何かを残してやれ!」って前向きになれるんですよね。


そこで、最近いいなーと思ってブックマークしたポストがこちら。「誰も知らないことを自分だけが知ってるとわかった時の興奮」って、いい表現だなと思いました。「なにこのClosure in Moscowってバンド、すげーじゃん!」とか「銀牙の面白さを、なんでいままで分からなかったんだろう?」とか、「身震いするほどの興奮」ってのは、文字通り「身体が震えてる」んだから、生きている証ですよね。

これが例えば、この「発見」をXでポストしたのにいいねもRPもつかない、友達にLINEしても既読スルーされているから、大したことじゃあないんだ・・・やっぱり自分なんてしょうもない存在だわ・・・ってなると負のループに陥ります。だから、他人の反応を気にしてはいけません。自分が震えたらそれでいいんだよと。それが生きている価値であり、生きている実感だよと。

そういえば、最近Xで「発見」したのが、ドジャースの試合のことをつぶやくと表示回数が1桁跳ね上がるのでビックリしました。べつに大谷選手を賛美してるわけじゃありません。もし、Xの「数字」が心の安定剤になるなら、ドジャースのネタはオススメかもしれません。

今の外国人排斥の流れもそうだと思いますけど、不安ゆえに境界線を引いてしまう」

もう一つ行きます。この「境界線」というテーマは面白かったですけど、本編で外国人の問題を取り上げなくて良かったですね。この問題は、特に小さいお子さんを持つ親御さんにとっては他人事じゃないですから、みんな熱心に勉強していますよ。この一文だけで先生の立場が分かってしまうので、反発の声が上がっていたかもしれません。

例えば、昨今の川口市のクルド人の問題を取り上げて、「外国人排斥の流れが起こっていることにしたい」のはオールドメディアや左翼活動家たちで、冷静にウォッチしている人たちにとって、この問題は、人種や宗教の問題でもなければ哲学の問題でもなくて、「法律をしっかり守らせてください」ってだけの話なんです。

ただ、一般的な日本人の良い所は、このような「立場」が違っても、「じゃあ、あなたとは絶好です。LINEもブロックして、携帯番号も消しますから」とはならない。以前、細川バレンタインさんの動画をご紹介しましたけど、ナイジェリアではいつもみんな政治の話をしていて、投票した政党・政治家が違うと分かった瞬間に、「あんたの携帯番号消すわ!」ってなるのだと。だから、バレさんは「日本にはすでに多様性はあるんですよ」と指摘していました。

だけども、私たちの身の周りには問題がたくさんあります。ちゃんと法律を守って頑張って働いても税金・社会保険料をバンバン取られる。親よりも良い生活なんてまず無理だろう。SNS上でのマウントの取り合いを見ているだけで日々病んでくる。体調もずっと良くない気がする。・・・さて、人に話して解決できる問題がこの中でいくつあるのか?解決ではなく話してラクになることが「哲学対話」の目的なのか?

そもそもこのような「対話」に参加しようとする人はコミュ力と行動力がある人で、私とは「別の人種」って感じがしますが、この方々のやり取りを読むだけでもいろいろとヒントになることも多いです。ぜひ続けてほしいですね。

では、また明日!

Jun

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